+αな人

志水 太郎 氏

臨床+医学教育で世界へ

何故+αを選んだのか、どのようにして+α道に入ったのか

臨床医は教育者としての側面も持っていること、チーフレジデントをしていた大阪の市立堺病院での院内教育の日々が同時に自分の臨床の力の向上にも相補的に作用していたことから、教育にも力を入れるようになりました。大阪市大の学生が勉強会の講師として呼んでくださったのをきっかけに、大学でデリバリーの講義をするようになりました。そこでの噂が広まったのか次第に全国の医学部・研修病院にもその活動の幅が広がりました。

同時に、1対1の日常臨床の仕事から離れ、1対多数の観点から医療を見たときにより臨床医としての幅を広げられるのではという思いを抱くようにもなりました。私の数人の先輩が米国をはじめ海外で公衆衛生を学んでいたことから、臨床の傍ら準備を進め、エモリー大学公衆衛生大学院に入学しました。エモリー大学卒業後は、エモリーOBの紹介でカザフスタンの大学にも教育での客員職を得るに至りました。

カザフスタンでは教育重点化政策の一環で、大統領ナザルバイエフ氏の命で新設されたナザルバイエフ大学が2014年から医学部を新設することになり、そのPremedの学生に内科学全般を教えるために世界中の熱心な教育者を探しているという中での採用依頼となりました。書類、面接などの選考ののちVisiting professorとして年度更新の採用が決まりました。

カザフスタンには昨冬伺っていますが、客員職ですので訪問の形を取っています。カザフスタンに移住したわけではありません。先方で話を聞いたところカザフスタンでの医師免許も獲得が可能とのことですが、私は今後、米国に臨床医として渡ることを考えていますので、カザフスタンでの正ポストについては直近ではあまり考慮していません。

カザフスタンというと多くの人は広大なステップと遊牧民族ののどかな雰囲気といったイメージを感じるかもしれません。そのイメージは確かに正しいものです。しかし旧ソ連からの独立20年の中、国土としても天然資源としても巨大な可能性を秘める国として注目を集める国でもあります。現在は終身大統領のナザルバイエフ大統領の専制下にあり、この比較的穏健派の大統領の指揮のもと、国家の文化・教育においても大きな投資が行われているようです。日本とのつながりは強く、たとえば建築家の黒川紀章氏が首都アスタナの美しい街を設計したことは有名です。

プラスαの道はどうであったか、何を学んだか

カザフスタンのナザルバイエフ大学は首都アスタナにあり、医学部はデューク大学との提携で米国式の教育も取り入れた世界最高水準の医学教育を実現するというパッションを勤務初日にディレクターから伝えられました。学生の情熱もすばらしく、素直でキラキラした目で食い入るように私の授業に参加してくれたのが印象的でした。

また驚いたことに、医学部入学直前というのに、彼らは危険な胸痛の鑑別などはすらすら出る、ショックの病態生理などもしっかり理解しているなど、日本の医学部では考えられないくらいの実用的な基礎・臨床教育がすでになされていました。私は今回主に循環器の講義を行いましたが、2時間目にケースカンファレンスをしたところ日本の医学部4年生と同等のレベルのディスカッションになりました。このような現象を見ると、医学教育のメソドロジーは飛躍する余地が多分にあると感じます。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

研修医・若手指導に活きています。研修医から医学部低学年までわかりやすく教えることができるよう自ら知識をかみ砕いていく過程で、現場での知識・技術がより深みを持って実戦的に洗練されていく現象を多く経験しています。

実践的に使える知識は、たとえ10連直後の疲れ切った頭でもさっと出てくる知識やスキルという意味です。内科は基本的に整理の学問です。鑑別にしても分類にしても、既存の知識を限りなくシンプル化してクリアに想起、また説明できるように日ごろ各自努力して整理しておくことが、現場でもスピーディかつ実力に直結しますし、その現場を後輩とシェアすることで教育的にも高い効果を発揮できると思います。以上のことを見ても、教育と実用は相補的に関連していると感じます。

教育面で重要な臨床的気づきは下級生との交流からだけでなく、上級医の文化を追随することからも得られます。以前ある大学病院の指導医講習会で講座を開かせていただいた折、自分よりもはるか上の学年の先生方に自分の講義をすることがありました。このとき世代が違う上級のドクターらに若手なりの視点での医学教育の試みを展開し議論の俎上に載せることで、良い意味での知識・メソドロジーの健康的な対話が起こりました。それは温故知新であり、またイノベーションを生むと実感しました。

例えば精神・根性論は現代では敬遠される一方、土壇場での集中力や対応力はギリギリの状況に置かれてこそ磨かれるという経験則も存在します。私のレクチャーの1コンテンツである“VERSARCH(Virtual ER Simulation ARCHives)”でも、仮想の救急現場に立ってもらい自分一人しかいない状況で重症の患者さんを前に「テンパって」もらうことで自分のできることやできないことを自覚し、患者さんに不利にならない状況で(ヴァーチャルですので)試行錯誤してもらう、そういう負荷をかける方が若手は伸びるときもあることを経験します。

獅子の子を谷底に突き落とす、漫画「男塾」に出てくるような前時代的な訓練の風景です。しかしそこには、現代好まれるようなゆとり教育に欠ける、爆発的な教育効果の可能性を感じます。

今後どのようにキャリアを形成していくか

先のことはわかりませんが、教育者の1プレイヤーとして世界展開ができると考えています。

臨床メインでプラスαを志す場合のピットフォールについて書いておきます。もし読者のあなたが臨床を離れたプラスα側をメインにシフトするのであればなにも問題ないと思います。しかし臨床医メインで行くのであれば、プラスαはあくまでもプラスαだと認識し、臨床の現場で最大限の成果を出し、現場にいつもいるということが臨床医の場合には求められます。

プラスαは地を這うような臨床の毎日(それが楽しいのですが)とまた違う楽しさや充実感がありますが、それはあくまでもコラテラルです。コラテラルに偏りすぎてメインが手薄になってしまうと、もっとも重要な臨床医としてのアイデンティティが揺らいでしまうことが懸念されます。

この点を順守したスケジュール設定が臨床メインかつプラスαのマージナルゾーンでのバランスのとれた活躍と自己の開発に重要と感じます。

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