矢崎 雄一郎 氏
外科からバイオベンチャーへ~自分が納得できるがん治療を創造したい
氏名 | 矢崎 雄一郎, Yuichiro Yazaki, MD |
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年齢 | 40歳 |
現在の職業 | テラ株式会社 代表取締役社長 |
現在の勤務先 | テラ株式会社 |
出身大学・学部 | 東海大学医学部 |
臨床専門分野 | 一般外科・消化器外科 |
+αの道に入る前の臨床経験年数 | 4年 |
+αの道に入った後の臨床経験年数 | なし |
+αの道に入った際の年齢 | 28歳 |
+αの道の種類 | 研究及び事業企画(創薬バイオベンチャー)・細胞療法の基礎研究(大学研究所)・経営(現バイオベンチャー) |
何故+αを選んだのか
田舎の開業医の家に生まれ、親の背中を見て医学部を目指し、外科医として大学病院でがんの治療に向き合ってきました。医師としてやりがいのある仕事人生を送る一方、治らないがん患者を目の当たりにし、「一外科医としてどれだけの命を救えるのか」、と日々の診療で感じていました。
また学生時代には、叔父と叔母を悪性度の高いがんで50歳前後という若さで続けて亡くしたことに思うところがあり、一人の医師として、一度だけの人生、「何をすべきか」、「何を目指すのか」、「どう生きたいか」、自問する日々が続くようになりました。
そのような中、欧米では90年代より、バイオベンチャーが新薬や治療法の研究開発をけん引しているのを目の当たりにし、ビジネスと医療はある意味(臨床医にとっては特に)対極的ではあるが、そのダイナミックなパワー(資本力や組織力)を利用して、「自分の力で新しいがん治療を開発し、世の中に普及させたい」、「今よりも(当時よりも)自分が納得できるようながん治療を創造したい」という思いが強くなり、一念発起、医師を辞めて、ビジネスの世界に飛び込みました。
どのようにして+α道に入ったのか
ビジネスの世界に入る決意をし、出会ったのが日本でできたばかりの創薬バイオベンチャーでした。ビジネスの世界には何の人脈もないので、ビジネス誌で調べたバイオベンチャーの中で、これだと直感した企業に直ぐに電話をしました。何とかアポイントを取り付けて、まずは無休・無給でもいいから働かせてほしいと願い出て、就職を実現しました。報酬は医師の時と比較すると微々たるものでしたが、何事にもチャレンジ(失敗も)をさせてもらい、ベンチャーの醍醐味を体感することができました。
その会社からは、「医師であるし、研究に特化してやってもらいたい」という要望がありましたが、私の当時の目標はあくまでも起業であったので、企画や財務など事業や経営に係わる仕事をさせてもらいたいと申し出て、1年後にそれを実現しました。
そうして、様々な研究及び事業の企画を立案する中で、細胞・再生医療の事業企画がありました。それを大学研究所附属病院の院長にプレゼンをしたところ、「その研究や事業化を含めて検討するので、研究員にならないか」というお話をその場でいただき、同研究所の研究員となりました。そこで「自分が構想した研究や事業を実現する」というチャンスを得たのです。その構想は、細胞・再生医療を推進するためのインフラ事業のようなものでした。その中で、起業のきっかけとなるがんワクチン療法の一つ、「樹状細胞ワクチン療法(注釈参照)」の臨床研究に出会ったのです。
外科医として、また前述のように叔父叔母をがんで亡くしたこともあり、この治療の貢献性、市場性、そして実現の難しさを直感しました。実際、30歳そこそこの、経営をまったく経験したことがない、お金を借りた経験もない、ベンチャーの雰囲気を少し味わった程度の駆け出しビジネスマンにとって、バイオベンチャーを起業する事はとてもハードルの高いことでした。当然ながら銀行からの融資なんて受けられるわけもありません。
ところが絶妙のタイミングで東京大学の技術にのみ投資をするという、当時では画期的なコンセプトで設立された株式会社東京大学エッジキャピタルが、事業性と社会貢献性を高く評価してくださりました。ほとんどの関係者が「社会貢献性は極めて高いのは理解するが、事業化は難しいだろう」という判断で投資には極めて消極的な雰囲気の中、当時の担当者の英断で、私をはじめとする経営陣の経験不足を支援するうえで出資をしていただき、テラ株式会社が産声をあげました。
プラスαの道はどうであったか、何を学んだか
事業環境や価値観が違う職種や職場、文化を経験することで、幅広い人脈、横断的で多面的な発想と意思決定力を身に着けることができるようになったと思っています(現在もまだまだ勉強中ですが)。また学びというよりも経験ですが、20代後半から30代という伸び代のある時期に、臨床、研究、企業の論理の基礎を経験したことが良かったと考えています。臨床医の思考をベースに、幅広い研究情報や人脈を活用して、ビジネスに生かしていく。そのためにはなるべく早く、若い時にプラスαの道に入ることが重要と考えています。
ベンチャービジネス(企業)の面白いところは、seed→early→middle→later→IPO→Post IPOと様々な段階や株主構成によって経営スタイル、組織スタイル、企業文化も変わります。それを学び、経験しながら成長するという醍醐味があります。
現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか
医療に関連するビジネスをする上で、臨床で経験したニーズやマーケットに対するイメージ、医師の思考やコミュニケーションの取り方等を肌で覚えておくことは、バイオベンチャーなど、医療に関連するビジネスをする上ではアドバンテージです。ビジネスアイデアのひらめきから、企画、交渉、事業構築に至るまでのスピードを短縮することができます。
今後どのようにキャリアを形成していくか
樹状細胞ワクチン療法をはじめとして、細胞治療の研究開発並びに関連サービス事業でグローバルに活躍できる企業へと導くこと、それを実現するリーダーになれるよう、これからも日々チャレンジしていきます。
注:樹状細胞は、がんを攻撃する兵隊役のリンパ球に、がんの特徴(目印)を教える“司令官”のような役割を担う免疫細胞(抗原提示細胞)です。樹状細胞ワクチン療法とは、この細胞の働きを利用した治療方法で、患者さんの血液から樹状細胞を作製し、同時にがんの目印となるがん組織や、人工のがん抗原を与えることで、体内のリンパ球にがんの目印を教えることができる細胞に育てます。その細胞を体の中に戻すと、リンパ球などに指令を出し、がんを攻撃するという仕組みです。
ブログ・ホームページなど
会社HP http://www.tella.jp/
ご自身が紹介されたマスコミ媒体など
日経産業新聞、日経ビジネス、Japan Medicine、株式新聞、週刊ダイヤモンド、日経CNBC、ワールドビジネスサテライト(WBS)等
起業情報
会社種類:株式会社(バイオベンチャー)、資本金:588百万円(2011年12月末時点)
資本金の出所:本人100%資本から立上げ。2005年以降に東京大学エッジキャピタル及び日本政策投資銀行系のキャピタルが資本参加。2009年3月にJASDAQに上場。2010年12月に旭化成株式会社が第三者割当増資を引き受け。
役員人数:社内外含め11人、起業した年:2004年、起業準備に要した期間:4年
医療従事者が起業するためのアドバイス
医療従事者としての経験や肩書きを捨て去り、ベンチャー企業家になり切ること。退路を断ち、揺るぎない信念のもと、長い苦難にも耐えて続け、チャレンジし続けることが大切ではないでしょうか。