+αインタビュー

古川俊治 +αインタビュー

医師3年目で文学部に入ったきっかけは何ですか?

もともと文科系、特に哲学に興味を持っていました。それでも医師になったのは、ひ祖父・祖父・父親が東大第2外科の外科医であったのが大きかったですね。卒後2年間の研修は忙しくてつらかった。学生のときは、クリエイティブでいろいろなことをやる時間があって、楽しかったけど、研修医になって、どっぷり臨床につかって、どちらかというと事務処理が多くて、クリエーションが少ない。徒弟制度も強かったため、自分がクリエイティブになれない、ということにもフラストレーションを感じていました。同時に、自分が文科系・哲学系に強いという確信もあった。そこであえて文学部に入学して、改めて哲学を体系的に学び始めました。そこからは、癌の研究と臨床、さらに文学部の勉強という三立になったのですが、どれも好きだったからやれました。

文学部で学んだことが臨床に活かされましたか?

もともと哲学的なものを持っていたので、文学部ではそれを体系的に位置づけていくという方法でした。哲学を学んで臨床が変わったというよりも、臨床から哲学を得た。また臨床によって、自分の持っていた哲学の実践的意義が深まった、ということだと思います。哲学は形而上学と言われますが、形而上だとおもしろくない。医療の実践によって、それを形而外に引っ張ってくることができたと思います。

続いて法律を学ばれたきっかけは何ですか?

哲学だけだとですね…。医学部6年生のときには、法律家や哲学家と議論できるくらいの土台は一応はできていました。そういう本を読み続けていましたから。ただ、倫理だけだと限界があるんです。世の中の枠組みをつめているのは法律ですから。当時、医と倫理と法というのが言われていました。たとえば移植問題なんかにしても、その三者がでてくる。そうすると、それぞれが自分の土俵の中で物を言うので、まったくかみ合わないのですよ。自分自身がそこで感じたのは、ともに専門家が集まって、シンポジウムやったということで満足してしまっているんですよ。ところが結論はいつも出ていない。何回も何回も同じことやっている。それがずっと日本の現場で繰り返されている。その議論を見ていて、やっぱりそれはおかしい、やったつもりになっているだけだと、ということで、三者の橋渡し的役割を果たす重要性を実感して、35歳までに医と倫理と法を、すべて相手の立場になって語れるようになりたい、というのが当時の目標でした。

まずは大学の通信過程で法学を始めて、すぐに実務をやらないとおもしろくないとわかった。結局人と触れ合うのが好きなんですね。そこで司法試験の勉強を始めました。司法試験は運よく1回目の受験で合格しました。ちょうど医師になって10年目のときです。6年目に医学博士の学位をもらうまでには、30本以上の英語論文を書いていました。その後、臨床外科医として一般病院に出てからは、手術以外にも積極的に症例報告なんかもしていましたし、その中で弁護士資格を取りました。医学部卒後10年間で、臨床と研究をしっかりやった上で、好きな哲学と法律学を学んで、弁護士資格も取ったということは、自分でも誇りに思っています。

弁護士としてはどのような仕事をされてきたのですか?

司法修習の2年間は、臨床からは離れていましたが、週末に大学で実験は続けていました。司法修習の間は、医療過誤に興味を持って、その文献なんかを読み漁っていました。そのころから感じていたのは、医療過誤では、医療側と患者側の弁護士が完全に分かれているんですよ。弁護士というのは、正義を目的とするわけですから、どちらにも付けるはずでなくてはいけない。片方にしかつけなくなっている構造自体がおかしいと感じました。自分としては、医学が好きで、法律で医学に貢献したいと思って弁護士になったわけですから、医学に対する中立性とか純理性を失いたくなかった。直接的に医療過誤に関わるとそれらを失うと思ったので、代理人にはならないと決めて、その代わり全国の弁護士の質を上げたいと思い、両側の弁護士にアドバイスをするということはやってきました。また、自分が直接やることとしては、もっとクリエイティブなことをやりたかったので、医療ビジネスのことが多かったですね。薬事関係・医療関連業の法規制を、どちらかというと規制撤廃側で。法をわきまえた上で、臨床的効果や問題点について物を言えるということが、非常に役立ちました。弁護士としての仕事で、臨床経験は100%役立ってきましたね。

逆に弁護士経験が臨床に役立ったことはありますか?

それも大いにありましたよ。臨床現場で直接役立ったという話ではないですが、弁護士になったのは99年で、その年から医療過誤がぐんと増えた。そこで、医療過誤の研究者として、現場の医師に対する啓蒙だとか、医薬品の開発側に対する啓蒙を行ってきました。そういった講演依頼も多かったのですが、それは臨床家として噛み砕いて言える人がいなかったので、重宝されたのだと思います。

経営大学院で学ばれたきっかけは何ですか?

医療ビジネスに対する助言をやっていくうえで、もっと経営の基礎を勉強しなくてはいけないと感じました。また、オックスフォードというのは大学発祥の地ですから、大学の教員として教育の原点を見たかった。あとは、1年のコースだったということもあります。通常2年のカリキュラムを1年で終える分とても忙しかったのですが、当時の自分には1年しか時間がとれなかったため、これでやろうと決めました。

医療法をやっていると、行き着くところは政策論になります。政策論になってくると、結局はお金の問題になってくる。医師と弁護士の立場から何かを提言しても、お金の問題を語らない限りはだめだと…。そこで、ファイナンスの強いオックスフォードでMBAを取ろうと決めました。非常に貴重な1年でした。それまで医学・文学・法学と学んできましたが、それ以上に得るものが大きかった。まあ、それらのバックグラウンドがあって、集大成としてビジネスを学んだという意味で、一番大きかったのでしょうね。ただでさえ密度の濃い授業内容を英語で受けるのも始めは大変でしたし、とくにネイティブとのディスカッションには苦労しました。でも意外なことに、ドロップアウトするのはネイティブばかりでしたよ。自分を含めてアジア人は苦労しながらも結構がんばって、最終的にはいい成績を取っていましたね。オックスフォードのビジネススクールは5年以上の実務経験がないと入学できないので、様々な社会経験を積んだ学生が集まってくる。その中でも、自分が医学と法学を体系的に学んできたというのは、強い自信になっていたので、乗り切れたのだと思います。ともに苦労した分、クラスメートとの絆も強くて、今でも交流が続いています。


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