+αな人

渡邊 潤 氏

アフリカのエイズ対策に貢献したい~日本とガボンで学んだ事~

氏名 渡邊 潤, Jun Watanabe, RN, PHN
年齢 26歳
現在の職業 国際協力機構青年海外協力隊
現在の勤務先 ガボン共和国 クラムトゥエイズ外来診療センター
出身大学・学部 慶應義塾大学看護医療学部 2009年度卒業
臨床専門分野 国際保健、国際看護
+αの道に入る前の臨床経験年数 3年
+αの道に入った後の臨床経験年数 1年
+αの道に入った際の年齢 25歳
+αの道の種類 国際保健、国際看護
Jun Watanabe

 

何故+αを選んだのか?

大学在学中に学生のボランティア団体を通して中国のハンセン病快復村、タイのHIV/AIDSホスピス、エイズ孤児院に出会いました。そこで多くの人と同じ時間を過ごし、喜び、悲しみ、死に直面しました。そして国境を越え、その国の政治、経済、社会、文化、宗教、環境などを包括的に考え、病気という人類共通の課題に対してより良い生、そして死に関わる国際保健・看護という分野に興味を持ちました。また、現地の人と一つの目標を目指して汗を流し、同じ過程を踏む中で、意見の対立もありますが、最終的には言語を超えた心のつながり、そしてお互いの国の理解に繋がることへの喜びを感じ、現在の道を選択しました。

どのようにして+α道に入ったのか?

大学在学中はアジアを中心に様々な医療の現場に赴き、多くの人、患者に出会い、現場を知り、色々な考え方を学びました。その中でも大学一年生の時に初めて訪れたタイの孤児院で暮らすエイズ孤児に出会った時、「この子ども達は二十歳まで生きられないかもしれない」と聞いた時には大きな衝撃を受け、無力感を感じました。その時にそこで働いていたスタッフに「ただ子ども達を抱きしめてあげるだけで、子ども達はその一瞬、愛を感じることができる。」と教えてもらい、自分でもできることがあると気づきました。世界中で、誰もが恵まれた環境で生きていると感じているわけではありませんが、全ての人が幸せを感じることはできます。病気を患い、辛い状況の中でも、多くの幸せを感じられるようなお手伝いができるということを学びました。

大学卒業後は虎の門病院の血液科で3年間臨床経験を積み、看護師としての基礎を築き、患者中心の医療を実践しました。仕事の傍ら、HIV/AIDSの予防啓発にも携わり、中学、高校生に対し「恥ずかしがらずに性を語り、自分、他人を大切にしよう」をテーマに年間約500人の学生に授業をしました。元々、大学卒業後3年で海外の現場で働くことを希望しており、大学時代から何かと縁があったHIV/AIDSという感染症に一度正面からぶつかりたくて、JICAに応募し、合格を頂き現在の職場で働いています。

+αの道はどうであったか、何を学んだか?

ガボン共和国のHIV感染率は4.1%。オグエロロ州の州都クラムトゥという町の各州に設置されているエイズ外来診療センターに勤め、1年が経過しました。赴任当初は日本人の半分以下の時間しか働かず、医療者中心のその日暮らしの勤務態度が理解できず悩んだ時期もありました。しかし時間が経過すると共に、仕事よりも家族を大切にする文化であることや、何か目標があると一生懸命働く姿などに気づきました。またガボンでの日本人の評価は高く、様々な交渉において日本人であることで優遇されたりすることも多く、これまで日本の印象を築いてくれた日本の皆様に感謝するとともに、自分が日本人であることに誇りを感じる場面が多々あります。

現在は経済的、精神的な問題や移動手段がないことで、継続した通院ができていない患者への対策として患者会、在宅訪問の改善、生活、服薬指導の強化、メディアを使っての介入などを行っています。そして予防啓発の強化として、州の予防局と共同でプログラムを作成したり、各学校にエイズクラブの設置の援助をしたりしています。エイズ対策は国レベルでの介入も必要なので、ガボン保健省との定期的な意見交換や全国共通の患者向けパンフレットの作成にも取り組んでいます。

私自身、ガボンから学ぶことも多くあります。例えば、知らない人であっても、道ですれ違うと「こんにちは。元気?」と挨拶をします。日本と比べると人と人との繋がりが強く、医療システムが未発達でも、その繋がりが患者の助けとなるケースを目にします。そのようなガボンの強みと、日本の技術を融合することで、より良い医療サースが実現できることをガボンの方々と共に働くことで学んでいます。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか?

国を越えても患者のニーズは同じであること、そして生きたいという気持ちは共通です。そのため日本での臨床経験が生きる場面が多々あります。身体的、精神的、社会的な痛みへの介入。病気により生活、社会的な役割の変化を余儀なくされる患者、家族への介入。経済的な問題への対応、そして死へのグリーフィングケアなど日本で培った技術を実践し、同僚に紹介することもあります。今後も日本の患者中心の医療を提案しながら、患者にとってより良い医療サービスを提供しようと考えています。

今後どのようにキャリアを形成していくか?

2年間の任期終了後は、現場で感じた課題を大学に持ち帰り、課題に対してゆっくり考え、答えを見つける時間が必要かと考えています。その後、機会があれば、自分を必要としてくれる場所で、国際保健分野の経験を生かし、また海外の現場で働きたいと考えています。

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