佐藤 乃理子 氏
医療マネジメントで未来をひらく
氏名 | 佐藤 乃理子, Noriko Sato M.D.,phD |
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年齢 | 36歳 |
現在の勤務先 | 北里大学 医療経営学 |
出身大学・学部 | 藤田保健衛生大学 医学部 2002年卒 |
臨床専門分野 | 泌尿器科 |
+αの道に入る前の臨床経験年数 | 8年 |
+αの道に入った後の臨床経験 | 週1回の外来 |
+αの道の種類 | 医療経営・医療マネジメント |
何故+αを選んだのか
私は泌尿器科医としてキャリアをスタートし、2年間厚生労働省に出向いたしました。その中で、医療・医学の様々な場面に接し、現場に滞りのようなものを感じ、それを何とかしたいと思い、医療マネジメントの道を志しました。
大学を卒業し、研修医を大学病院で修了したのち、大学院へ進み、癌の研究に没頭しました。学位取得後に大学病院に戻った時にはこのまま、癌の臨床や研究に没頭するものと自分でも信じていましたが、医局人事で、静岡県の病院に出向しました。その際、大学病院で自分が経験していた医療とその病院での医療の差に愕然とし、インフラとしての医療に疑問を持つようになりました。また、私の勤務した病院はそれほど大きな病院ではありませんでしたが、少ない医師が昼夜を問わず忙しく働いており、医師の間に漂う疲労感というものも感じていました。そんな時、大学の教授からの勧めもあり、人事交流で厚生労働省に入省しました。
厚労省では、臓器移植対策を担当しました。私が入省した当時は臓器移植法が改正されたばかりで、脳死下での臓器提供事例数が急増した時期でした。非常に忙しいお役所仕事にカルチャーショックを受けながらも、とても充実した仕事をさせてもらえた時期でもありました。しかし、ここでも臓器提供・臓器移植を行う医療現場の疲労感というものも同時に感じることとなりました。 静岡の経験や厚労省で感じた医療現場の疲労感、滞りといったものを感じるなかで、自ら模索し、見つけたのが医療マネジメントの世界でした。
どのようにして+α道に入ったのか
人事交流でしたので、厚労省を2年で退職しました。 どのように医療マネジメントの分野に入り込もうかと模索していた時に、たまたま今の職場からお誘いを受けました。現在、北里大学病院では新病院の建築が進んでおり、来年の春の開院を控えています。その開院へ向け、医療提供体制を考えていくという内容に惹かれ、進むことにしました。
プラスαの道はどうであったか、何を学んだか
現職についてまだ、期間は浅いですが、現在、手術室の業務改善のプロジェクトに主に参加をしています。具体的には手術室のスタッフ(医師、看護師、その他医療職)にチームを組んでもらい、手術室の業務で問題になる医療材料の使用状況やハットヒアリの現状を分析してもらい、業務改善への具体的提言を探り、実践し業務改善につなげています。いくつかの業務で実際に改善へ向かい、スタッフの士気も高まっているようです。私自身、もともと外科医ですので、手術室の改善に取り組もうと考えています。
また、臨床医をしていた当時は医療材料のコストを意識する場面は少なかったように感じます。しかし、現職に就き、各診療科の診療状況などを見るようになり、病院のコストを意識しなければならないことが増えました。現在、病院が持っている人材、資材を有効に活用し、より良い医療を提供するにはどうしたらよいかを考え、学ぶ日々です。
現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか
厚労省にいた時に強く感じたことですが、業種が違うと使う言葉が違うので、横をつなげるための通訳のような役割の人が必要だと思っています。医師や看護師などの医療スタッフと病院を裏で支える事務職員は相互に理解することが重要です。しかしながら、医療者の使う言葉を非医療者である事務職員が理解できず、現場が混乱してしまうこともしばしばです。それぞれが理解できる言葉を使うという配慮も大事ですが、忙しい医療スタッフや事務職員にそこまでを求めるのは困難です。私はフットワーク軽く現場の通訳になれればいいなと思っています。
今後どのようにキャリアを形成していくか(今後の夢、可能性)
現職を始めたばかりで、まだ正直、この先にどのような道があるのかはわかりませんが、医療に関わる仕事をしている人たちがモチベーションを維持できる環境つくりを考えて仕事をしていけたらと考えています。
著書など
「ハグレ医者 臨床だけがキャリアじゃない!」メディファーム株式会社編著 (日経BP社)