平山 佑三子 氏
看護経験のすべてが今に繋がっている~ビジネスへの転身、そして起業
氏名 | 平山 佑三子 氏 Yumiko Hirayama, RN, PHN |
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年齢 | 33歳 |
現在の職業 | 会社経営 |
現在の勤務先 | アタライフ株式会社 |
出身大学・学部 | 鹿児島純心女子大学・看護学部・1999年卒 |
+αの道に入る前の臨床経験年数 | 5年 |
+αの道に入った後の臨床経験年数 | 0年 |
+αの道に入った際の年齢 | 32歳 |
+αの道の種類 | 会社経営 |
何故+αを選んだのか
学生の頃から、医療関係の事業を興したいと思っており、その想いが強くなった時期が2回ありました。最初は、看護師4年目に血液内科に勤務した時です。移植治療を目的とした入院が多く、大量の抗癌剤治療を行う際、一番患者がつらそうに見えたのは、食事が取れなくなった時でした。患者からの食事内容への要望は多くあり、外出が許されない患者にとって食は闘病生活の中の重要な楽しみの一つである事、また少しでも楽しんでもらえるような質の高い食を提供できれば、患者に力を与えられる可能性がある事を実感しました。年齢や疾患に関係なく、良い食を提供する事ができないか、それを事業として展開することができないかと思いました。しかし、このときは、漠然と思っただけに終わり、その後臨床から離れビジネス界へ転職しました。その後、+αに進む大きな転機となったのは、TLO(技術移転)を事業とするベンチャーへの転職です。そこでの業務は、1)医師や研究者、看護師を含む医療従事者が、日常の診療もしくは研究の際に発見したノウハウや化合物の特許性を含む事業展開の可能性について調査し、事業化支援を行う事、2)新規の医療サービスの開始、および新規医療施設設立に向けたコンサルティング等、医療全般のコンサルティング、アドバイザリー業務でした。
転職当初は、ビジネスの基礎が全くなく、本や新聞等で勉強しながらこのような業務をこなしていましたが、私自身の強みは、臨床経験があるため、医師や研究者が話す意味やその想いがより良く理解できる事であるとことに気がつき、彼らにより近い存在になれるよう努力しました。多くの相談を受けている中で、自分のやりたい事が明確になってきました。 「医療従事者の中には、臨床で多くの患者を診療し患者のニーズに応えるべく知恵を持っている人は多くいるのに、時間やノウハウが不足しているから、ニーズに応えられていないのが現状なのではないか?だったら、自分がそのニーズに応える為の手足になれるかも。」 転職して、2年目に糖尿病を専門とする医師からの相談でNPO法人の設立を支援しました。その後も、複数の医師から、現状では不足している医療従事者や患者へのサービスを主とした事業展開についての相談を受けました。 このような医療サービスの相談に加え、医師たちが行っている研究の特許に関わるコンサルティング、バイオベンチャーの運営支援に携わり、経理・総務・人事・知的財産管理等多様な業務を経験しました。起業前の最後の仕事になったのが、バイオベンチャーの事業計画作成支援でした。取締役で形成する経営会議に定期的に参加していましたが、創業者が自身の想いや夢を形にするために、組織を引っ張っていく強い信念を目の当たりにし、私自身の夢を実現したいという想いがとても強くなりました。 その後、支援終了と同時に起業。看護師の時に考えたより良い食を提供する事業と合わせ、医療を良くしたいと思う医師や医療従事者と一緒に、自らも当事者として関わって行けるコンサルティング事業の2本柱で開始しました。
どのようにして+α道に入ったのか
看護師を5年経験した後、SMOで治験コーディネーターとして2年ほど勤めていた頃、将来の起業のためにビジネススクールへの進学を検討していました。ちょうどその時期に、担当先の病院で技術移転を事業とするベンチャー企業の社長と知り合い、その社長に将来的は起業したいという話をしたことがきっかけで、彼の会社への転職のお誘いをいただきました。その時は、正直なことを言うと、ビジネス経験が全く無い自分に自信が持てず、ビジネススクールに行くという選択と迷いましたが、彼が「自分のところで2年頑張れば後悔はさせない」と言ってくださり、その言葉を信じて彼の会社に転職しました。その後、彼の下で勤務した3年弱は本当に濃い時間でした。私を含め3人の小さな会社でしたが、外資系コンサルティングファーム出身の優秀で尊敬できる2人の上司に囲まれる中、元来の負けず嫌いの性分もあって、自分の経験や知識の不足を言い訳にして足をひっぱらないよう、何事にも積極的に取り組むうちに、自発的に仕事をすることを学んで行きました。
マンパワーが不足しているバイオベンチャーの上場準備に関する業務では、経理、人事、総務等幅広い業務を経験し、起業から経営一般に関する知識を蓄えた事が、今では会社経営を行う上での宝物になっています。 その後、上記業務を通して知り合った志を同じくする友人とアタライフ株式会社を2009年に設立しました。
プラスαの道はどうであったか、何を学んだか
大手コンサルティング出身の元上司から「仕事を依頼されようになるまでは種まきが必要で、自分も会社を設立してから半年くらいはその期間だった。」という話を聞き、起業する時はその覚悟でした。勤めていた時も、多くの壁を乗り越えてきたつもりで、自分に与えられた仕事をこなすのには十分な自信がありましたが、新規で仕事を頂くことはそう簡単ではないとすぐに実感しました。幸い設立当初から仕事を依頼して下さる方がいて、また一緒に会社を手伝ってくれる仲間がいたのが、とても大きい支えになりました。 起業してしばらくは新規の仕事を取る事に注力しすぎて、自分が何を基準にして仕事を選択するか、自分が本当にやりたかった事が何かが分からなくなった時期がありました。この時に改めて会社のビジョンを考え直しました。医療従事者が臨床を通じて得た、医療を良くするためのアイデアを形にする、または私自身が臨床にいる方々と繋がる事で得た情報を基に事業をする、その結果としてより多くの人の健康レベルを向上させるために貢献したいと思ってきました。このことをビジョンとして掲げ、同じ想いを持った人との仕事を大切にしていきたいと思いました。会社として経営が成り立つことは基本ですが、ビジョンに合わない仕事はしない。わがままな仕事スタイルだと感じながらも、自分の立場や経験、会社の方向性について考えた時、私自身のスタイルで仕事をしていく事が、今は一番大切だと感じました。起業して最初に得た支えは、仲間や最初に仕事を依頼して下さった医師でした。その人たちがなぜ自分を支えてくれているか。それは、彼らが私の想いに共感する部分を見出したからだと思います。これまでの関わりの中で、多くの時間を共に過ごし、ディスカッションをする機会があり、その中で得た共感だったと思います。とても単純な事ですが、今、私が最も大切にしている事は、相手の話を聞き、自分の想いを伝える機会を積極的に作る事です。有難いことに、今の仕事の多くは、仕事を依頼して下さった方からの紹介で、関わった人の8割以上が人や仕事を紹介して下さいます。これは、関わりを出来る限り大事にしてきた結果で、今はこれが自分のスタイルではないかと感じています。
起業して1年半、経営者としての最大の学びは、自分自身の経営のスタイルを持つという事です。「社長」(実際にそう呼ばれ方をする事はほぼないですが)のマニュアルやスタイルは決まっていません。一人一人の性格が違うように、十人十色の「社長」の姿があり、自分のスタイルを見つけていきたいと思っています。それが結果として、自分のビジョンに合った事業の発展に繋がるのではないかと感じています。
現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか
臨床経験の全てが、今に繋がっていると思います。最も生きている点は、関わる医師を含む医療従事者を理解できる事です。そして、役立っていると思うのは、体力と計画力、忍耐力が身に付いている事です。看護師は患者に合った計画を立て、患者のQOLの向上を目指すケアのプロフェッショナルですが、会社経営にも共通する点があると感じました。たとえば、事業計画や企画の段階で立てた目標を、途中予算や状況に合わせて修正を加えても、最後には達成を目指すところは同じだと思います。
今後どのようにキャリアを形成していくか
今のいちばんの夢は、「元気のある高齢者(人)を増やすこと」です。これは私が学生の頃にも一度持った夢です。人が年を取る事や病気で健康を害した時、生きがいの全てを失い、認知症や麻痺症状等で思うような生活ができなくなってしまう状況を実習で目の当たりにし、とても衝撃を受け、「生涯現役」で生きがいの持てる環境を作りたいと思いました。
この事業化を現在準備中です。人の生きがいは様々なので幅広い協力者が必要で、いろんな人との関わりがある程、楽しい事業になるのではないかと思っています。今私の置かれている状況は、責任があるからこそ、多くの苦労やストレスは避けられませんが、起業したからには、自分自身が楽しめる事業をしたいと思っています。