+αな人

多江 和晃 氏

訪問看護で最期まで在宅で過ごせるエリア作りを

氏名  多江 和晃氏 Kazuaki Tae, R.N.
現在の職業 代表取締役社長
現在の勤務先 Life On Vital Element 株式会社(ライフ オン バイタル エレメント 株式会社)
臨床専門分野 訪問看護
+αの道に入る前の臨床経験年数 6年
+αの道に入った後の臨床経験年数 8年
+αの道に入った際の年齢 27歳
+αの道の種類 経営
多江 和晃

何故+αを選んだのか

「生きる」って何?? そんな誰もが一度はぶち当たる問題に、高校時代半年くらい悩みに悩み、「なんのために生まれてきたのか」「何か使命があるの ではないか」と考えました。その際、「変化があり、楽しく生きられて、人の役に立つことが許される仕事がいいな」という一つの答えにたどり着き、何となく 将来を思い描いていました。

そんなある日、手足が動かない患者様への看護で、麻痺の手足が動くようになったという看護師のドキュメントを見る機会がありました。「全力で看護し、見えないプラスのパワーをもらえる」と感動し震えて涙したことが、看護師を目指したきっかけです。

私が病院に勤務していたころは、今のように看護師が重宝されていない時代でした。「組織である以上スタッフはひとつの駒にすぎない」と直属の上司に も言われたことがあり、世の中には「雇う人」と「雇われる人」しかいないんだと痛感しました。そして、いつからか独立心が芽生え、25歳の時には「いつか 一人でやってみたいな」と何も見えていないのに漠然と思っていました。病院を辞める時には看護師も辞めてしまおうかと考えた時期もありましたが、訪問看護 という分野で、看護師としての国家免許保持者としての独立を徐々に考え始めました。

なぜ介護や治験業者等への転向でなく、「在宅」だったかというと、看護という仕事が単純に好きでしたし、好きで始めた仕事だからという理由です。 せっかく女性社会の荒波に揉まれながら苦労して取得した免許です。当時は女性社会で私のような男性看護師が道を開くのは大変でした。

そんな理由もあり「在宅に行ってダメなら、それから看護師を諦めよう」と考え、訪問看護に従事する道を選択しました。

どのようにして+α道に入ったのか

赤十字看護学校、赤十字病院勤務、順天堂大学病院勤務を経て、在宅医療の会社で2年働かせていただきました。「2~3年で独立します」と社長に伝えた上で入職させてもらいました。

その会社での仕事を通じて素敵なご活用者様との出会いがありました。医師や看護師をあまり信頼していない方(とある会社の社長)の奥様を担当してい ました。その奥様が、ある日ご主人の食事介助中に窒息してしまい、ご主人が医師に連絡しましたが、往診中で「すぐには訪問できない」と言われました。他に 頼ることがないため訪問看護ステーションに連絡があり、たまたま時間が空いていた私が、奥様の命を吸引で救う事が出来ました。

この出来事がきっかけで、その家族に信頼され、家族全員が協力的に動いてくれるようにもなり、とにかくやっと理想の在宅療養環境が創りだせたのです。

人事異動で担当を外れる際にご主人から直接、「主治医よりキミを選ぶ」といってくれたことが嬉しくて、涙が出ました。

これは革命では?看護師でも医師とは違う形にせよ「人の命を救えるんだ」「何よりも人の人生にいい影響が与えられる!」「人の人生の役に立てる」と思い、更にこの訪問看護が好きになりました。

そして2年半後に独立する事にしました。自分のやりたい看護の会社を創りたかったのが一番の理由です。私が病院に勤務していた時、患者様から「入院 は嫌だ」「家に帰りたい」という言葉をよく耳にしていました。土日・祝日・お正月・GWに運営している会社があってもいいと思っていたので、今の会社を創 りました。

プラスαの道はどうであったか、何を学んだか

最初は、1名しか依頼がありませんでした。営業しても若造がという感じで相手にされませんでした。営業を根気よく続け、看させてほしい、私を信用してほしいと情熱を伝え続けました。

また人が全てのこの労働集約産業で、人を雇用するという難しさを思い知らされました。思いを伝えても共感してもらえません。

今までいろんなところで学んできた人に、LEに就職したら「これがLEなんですよ」と教えるのですが、言う事を聞いてくれるわけがありません。専門 職の職人=プライドが高い。資格免許があり、しかも全国どこでも就職できる人たちを雇用する事がどれだけ難しいかは、自分の胸に聞いてみても簡単に理解で きました。

ただ、理念という存在意義の共有で難しさが半減しました。今でも悩むことは多いですが、楽しむようにしています。

訪問看護自体がどうであったかと聞かれると、「好きですね!一生続けていきます!」と毎回返答します。おそらく私は人が好きなんだと思います。また、人とのつながりを持っていたいという、ただのさみしがり屋なのかもしれません。

苦労はもちろんありますが、日々様々な方たちとの関わりを通じて、人としてボスとしての器を常に学ばせてもらっています。「また、これが辛いけど楽しいんです!」

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

今の仕事には、病院で学んだ看護過程そのものが役立ってます。問題点をアセスメントして解決策を考え、またアセスメントして改善していく。会社でも人でもこれの繰り返しだと思っています。

今後どのようにキャリアを形成していくか

私の会社の理念は「地域の生活・生命の要素となる」「最期まで在宅ですごせる城南エリア」としています。その思想を根本に拠点を強固なものにしていきたいです。また、私の会社にいるスタッフが幸せに感じてもらえる組織創りを形成していきたいです。

個人的な目標は、人としての器を広げ、優秀な方が自然と集まってくる人間性を身につけていけたらと思っています。どうすればいいかは、まだ模索中ですが。

ブログ・ホームページなど

著書など

開業ナースをはじめよう!」ぱる出版

ご自身が紹介されたマスコミ媒体など

CANPANY TANK、サンデー毎日、週間文春、他・CBニュース 検証・介護報酬の時間区分見直し(2)

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