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内田毅彦(その2) 氏

日本初の本格的医療機器インキュベーターとして日本の医療機器産業発展に貢献する

氏名 内田 毅彦, Takahiro Uchida,M.D.,Ph.D.,M.Sc.
年齢 46歳(2015年1月時点)
現在の職業 株式会社日本医療機器開発機構 代表取締役
現在の勤務先 株式会社日本医療機器開発機構
出身大学・学部 ・福島県立医科大学・医学部・1994年卒業
・Harvard School of Public Health・Master in Epidemiology・2002年卒業
・Harvard Business School・General Management Program・2010年卒業
臨床専門分野 循環器内科
前回の記事投稿 「医療機器開発・臨床試験のプロフェッショナルに」(2008年)
リンク先 http://http://rinsho-plus-alpha.jp/people/takahiro-uchida
プラスα道後の臨床経験年数 現在も週に1日臨床を継続

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前回登場時と現在のキャリア

前回は米国食品医薬局医療機器審査官を経て、米国医療機器大手Boston Scientific Corporation(BSC)本社Medical Directorとして勤務している時に投稿させて頂きました。それから今春で7年が経ちます。

Boston Scientificでは医療機器開発の多くを経験

BSCでは大企業が取り組む医療機器開発について色々と経験することができました。新しい案件についてデュー・デリジェンスのチームメンバーになり、医師としての考えをフィードバックする。日本が参加する大規模な医療機器の国際共同治験としては世界初であるPLATINUMプログラムのプロトコールの策定、実施。BSCが有する臨床試験のビッグデータの解析と論文投稿。世界の薬事規制当局との折衝。医療機器の安全性管理。販売後のマーケティング支援。などなど。グローバル企業であるがため、これらの仕事を通じて世界中に仕事仲間ができたり、一流の臨床医との接点があったり、コネクションやネットワーキングにも大きなメリットがあったと言えます。

そして、Medical Directorとしての業務に慣れた2009年から2010年にかけて、別のスキルを身につけるためにHarvard Business Schoolにて経営管理についても学ばせて頂きました。これまで私のスキルは医療分野から臨床研究や薬事の分野に偏っていましたが、系統的に経営管理学を学べたことは自分に取ってとても大きなものであったと思います。Executive educationのプログラムでしたが、少なくとも経営管理の共通言語のようなものは理解できたように思います。MBAは 自分とは別次元のものという意識が変わっただけでも、価値があったと思いますし、何より、自分で何かを成し遂げたいという起業家精神のようなものが自分の中に芽生えました。

ビジネススクールでは多くのケースを学びましたが、結局今でも印象的に頭に残っているのは「ストラテジー」の定義とリーダーシップの授業でならった2つのポイントです。私が習ったストラテジーの定義は「uniquenessとsustainability」の両方があることです。独創的だけではだめで、簡単に真似されないということも肝要であるという点は眼から鱗でした。リーダーシップの2つのポイントの1つはリーダーシップには大きく分けて二通りあって、「先頭に立ってグイグイ引っ張っていく」リーダーシップと「羊飼いのように後ろからチームを目標に誘導する」リーダーシップがあること。そしてもう1つのポイントは、「自分に取って気持ちの良い部下ばかりを重用せず、批判的でもタイプの異なる部下もチームに入れるべき」というものです。さて、自分はリーダーになった時にどちらのタイプなのか。そしてフェアにチーム組成ができているか。これは、現在でも模索しながら歩んでいます。

BSCではこのように色々と経験できましたが、自分の中で引っかかることがありました。それは医療機器開発の最上流部分、ベンチャー企業の創成期については大手企業ではあまり学べない点です。確かにベンチャー企業の案件のデュー・デリジェンスはしますが、私が関わる段階では既にかなりのふるいがかかっています。どうやって新しい医療機器の種が撒かれ、そして芽吹くのか。どうしてもそれを知りたくて、私は一大決心をしました。

シリコンバレーで起業

大企業で働くと、福利厚生が充実していますし、居心地が良い部分が沢山あるの ですが、2011年夏にBSCを退社し、単身シリコンバレーに移り住みました。小さなコンサルティング会社を設立して、医療機器の最上流に身を置くためです。私のメンターであり、大切な友人であるStanford大学 池野文昭 先生や三菱商事の大類 昇氏の助けもあり、幾つかの現地のスタートアップ企業と一緒に仕事をさせてもらうことができました。

シリコンバレーは今でも世界の医療機器の半分以上がここで生まれると言われている程、医療機器開発のメッカです。ここは元々医療機器を発明した人が起業し事業を大きくさせる過程で、それに従事する人が集まり、その人達が今度は自分で起業するなどして、医療機器開発の裾野が広がっていきました。医療機器で成功した人が、次には資金提供者になり、ヒト、カネ、モノが回り始めると、それを求めて、更に人や医療機器のシーズ(種)が集まってきます。シリコンバレー自体、元々IBMが生まれ、半導体産業が大きく発展して有名になりましたが、医療機器でもこのような医療機器開発の生態系(エコシステム)が確立されているのです。一旦このような好循環が生まれると勝ち組になります。日本でも医療機器開発のエコシステムが必要だと痛感しました。

医療機器産業における日本と世界

世界の医療機器市場は約40兆円であり、日本の市場サイズは単独ではアメリカについで世界第2位の規模があります。そして、日本での医療機器貿易収支は、年間およそ7000億の貿易赤字を計上しています。日本は、モノづくりが上手で、高い技術力と品質管理能力があり、かつ医療レベルがとても高いにも関わらず、医療機器で世界をリードしていません。日本では医療従事者が患者のために良い医療を提供しようとすればする程、医療機器の貿易赤字が広がっていくという構図になっているのです。

このままでいいのでしょうか。多くの最新の医療機器が海外からスムーズに輸入されることが未来永劫続くのであれば、あまり問題はないかもしれません。しかし、今後、欧米の医療機器メーカーにとって、人口が減ってしまって市場サイズが小さくなった日本より、中国やインドに目を向け、日本には優先的に輸出しなくなってしまったらどうでしょう。あるいは、パンデミック呼吸器感染症が大流行し、人工呼吸器が世界で足りなくなったら、それでも日本に入ってくるのでしょうか。

昨今、医療ツーリズムという言葉をよく耳にします。これは、世界最先端の医療体制を整え、外国から患者さんを日本に呼び込もうという取組みですが、日本に最新の医療機器が入ってこなくなってしまったら、今度は逆に日本から外国へ治療を求めて行かなくてはならないかもしれない。これでは逆医療ツーリズムです。したがって、日本で医療機器を中心とした医療イノベーションを活性化させることは、とても大切なのではないかと思うのです。

医療機器開発において日本が足りないもの

日本での医療機器開発の入口部分に関する視点は医療機器大国アメリカの視点とは少し異なっています。日本は、「こんな技術があるから、これを何か医療機器に応用できないか」という視点ではじまりますが、アメリカは「こんな医療の必要性があるので、こういう医療機器が作りたいのだけど、誰かその技術を持っていないか」という視点で始まります。技術(シーズ)本位と必要性(ニーズ)本位の差です。確かに日本の優れた技術は医療機器に沢山応用できるでしょう。しかし、順番としては最初に必要性から迎えに行き、結果的に技術が必要となるというのが、正しいのです。

また、日本は医療機器の試作品は実際結構あるのですが、問題なのは、医療機器開発の事業計画をしっかりと描けてから試作に着手しないと、結局、薬事承認が取れなかったり、作ってはみたけれどあまり売れないというようなことになってしまい、医療機器開発としては成功しないことになります。

医療機器開発を成功させるためには、はじめからしっかりとした事業計画が描けることが本当に大切です。臨床上の必要性を見極め、他の診断法や治療との差分がわかること。その差分に対してどれ位の開発コストと時間がかけられるか適切に判断できること。そして知的財産権や薬事承認プロセスにも精通していること。これらの1つでもかけてしまえば医療機器開発はうまくいかないため、経験者が集まりチームとなって取り組まなくてはいけないのです。しかし、実際は日本ではそもそも医療機器開発の成功者が少ないため、なかなか経験豊富なチームを組成するのが困難なのが現状です。

医療機器インキュベーターの創業

そこで、10年住んだアメリカを後にし、日本で初めての本格的医療機器インキュベーターを設立するために2013年春、東京に戻り、株式会社日本医療機器開発機構(JOMDs)を立ち上げました。

医療機器インキュベーターというのはアメリカにはいくつかあります。基本的には創業期の医療機器ベンチャーに対しオフィススペースやラボスペースを提供しつつ、医療機器開発のノウハウをメンタリングします。その見返りに株式を取得するというのが一般のモデルです。JOMDsはこの典型的なインキュベーターと少し異なります。日本では発明者らが自ら医療機器開発のベンチャーを起業することが少ないので、単にスペースを貸すのではなく、起業前のシーズをそっくり発明者からお預かりして実際の事業化を請け負うという、米国よりも踏み込んだインキュベーターとして活動しています。

一号案件として、東邦大学医療センター大橋病院心臓血管外科教授の尾﨑重之先生が考案された新しい大動脈弁再建術の際に使用する手術道具を事業化しています(詳しくはhttp://jomdd.com/2014/05/210.html)。この医療機器は既に日本と米国で同時に薬事承認を取得し、日本では医療機器代理店のUSCIジャパン株式会社に事業譲渡しました。今年は米国、中国、韓国、台湾などで順次発売を予定しています。他にも複数の開発案件を抱えています。

このように、日本中の医療機器のアイデアを事業化するのがJOMDsの仕事です。JOMDsの育てる医療機器で沢山の成功事例を出していく中で、関わった人々が今度は医療機器開発のスキルを提供する側に回ったり資金提供者になったりします。ここは言わば、オープン・イノベーション・プラットフォームであり、医療機器開発にチャレンジしたい人が集まり、エコシステムが作り上げられていく、このような仕組み・機構を作るということを目的としていて、それを会社の名前にも反映させました。

医療機器は、市場規模があまり大きくない案件が多い上、開発サイクルが短く、品目も多岐に渡るため、個人や研究者、ベンチャー企業や、中小企業でも開発に取り組みやすいのです。経済が停滞し国家財政が行きづまり、医療費抑制が叫ばれる中、医療機器産業が外貨を獲得することで、結果的に医療費・社会保障費が増やせるのであれば、これは素晴らしいことです。日本の医療イノベーションをサポートし、日本の医療機器産業の発展に貢献しつつ、新しい医療機器によって世界の医療に貢献する。そんな大きな夢を今まさに追いかけています。

 

ブログ・ホームページなど

・自身のHP:http://jomdd.com/

ご自身が紹介されたマスコミ媒体など

・日刊工業新聞2014年7月14日掲載
「日本の医療機器を世界へ」
・朝日新聞2014年7月31日掲載
「けいざい新話「神の手」とつくる」
・産学官連携ジャーナル9月号
「医療機器イノベーション四つの死角」
・m3.com  「私の医歴書」 2014年9月9日より8回連載
・日経産業新聞2014年10月15日掲載
「事業化支援第一号心臓手術器具商社に譲渡」
・日刊工業新聞2014年11月11日掲載
「医療機器向け開始 薬事・品質保証コンサル」
・日経産業新聞2014年11月11日掲載
「医療市場参入を支援」
・日経産業新聞2014年12月08日掲載
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